東京天ぷら料理会 東天会

昭和27年に私共の先代や先々代が作った東京の天ぷら屋が集まる会を「東天会」トウテンカイといいます。

天ぷらの話

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第二話 天ぷらの起源と語源

一番古く有名な話は“徳川家康鯛の天プラ中毒死説”です。元和2年(1614)正月3日に家康が珍しい食べ物として榧の油で揚げた鯛を食べたとの記録があります。併しそこにてんふらの語は見えず、物は空揚げと思われ、家康が死んだのも翌年4月ですから、これは作り話で起源とは無関係です。

当時の代表的料理書『料理物語』(1643)には衣揚げもてんふらも未だ記されていません。 畏友平田萬里遠氏の研究に因ると、どんな料理か解りませんが言葉としては『料理食道記』(1669)の「てんふら 小鳥たたきて鎌倉、えび、くるみ、くずたまり」が初出とされ、逆にてんぷらとは言っていませんが衣揚げの記述は「どじょうくだのごとくきり、くずのこたまこを入、くるみ・あふらにてあげる『料理献立集』(1671)」が最初の様です。そして尾張藩下士の日記『鸚鵡籠中記』の元禄6年(1693)正月29日に「酒の肴、てんふら(嶋えひ、とうふ)麩にしめ」とあり17世紀末にはてんふらなる料理が注釈抜きで通用していたと考えられます。

それが18世紀半ばになると「テンフラは何魚にても温飩(ウントン)の粉をまぶして油にて揚げる也、菊の葉 牛蒡 蓮根 長いも その他も温飩の粉を水醤油でとき、塗り付けて揚げればてんふらになる『料理歌仙の組み糸(1748)』や「鯛の切り身を玉子で練ったうどん粉を付けて揚げる『黒白精味集 (1746)』」や「鰹のすり身や魚を衣揚げとすり身揚げだけでなくテンプラと言う味噌煮、菓子、こんにゃく等も記録され、名前と料理が色々と入り組み益々複雑になります。

因みに、今日の様な天プラの商売としての始まりは、安永年間(1772・81)の初めに屋台店からと言われています。(喜多村庭1830)

と、言うことで衣揚げとしての天プラの起源は詳しくは解りませんが、大凡元禄少し前17世紀後半と考えて大過無いと存じます。


第一話 天ぷら渡来450年!

「てんぷら」は日本独特の揚げ物料理のようですが、実は遠く安土桃山時代にキリスト教の宣教師と共に渡来した南蛮料理の一種であります。種子島に鉄砲が伝来したのが1543年。かのフランシスコ・ザビエルの来日したのが1549年ですから、てんぷらが日本に伝わったのもこの頃といっていいでしょう。

さて、「てんぷら」の語源ですが、キリスト教の宗教用語で四句節のことを、「クアトロ・テンプラシ」と言います。この四句節には、キリスト教の信者はキリストの受難をしのび、節食したり、肉を食べない習わしがありました。四句節に肉を避け、魚のフライなどを食べるこの習慣が、日本のキリシタンの間にも広まり、いつしか「クアトロ・テンプラシ」から転じて、魚の揚げ物料理のことを「てんぷら」と呼ぶようになったといわれています。この語源にはいろいろな諸説があり、次の項でも紹介しておりますのでお読みください。

ともあれ、てんぷらが渡来して450年。素材を活かし、おいしさに工夫をこらした先人たちの努力により、日本が最初に知った西洋の味「てんぷら」は、今や世界中でもっとも好まれる日本の味にまでなってきました。